ユーロ危機と感情論

 

 私はドイツを拠点にして、22年前から欧州連合(EU)を定点観測している。この結果、EUでは平穏な時には各国間の調和が保たれているが、危機が発生すると途端に国益が優先され、各国のエゴがむきだしになることを学んだ。

 ユーロ圏の債務危機をめぐって、ドイツとギリシャの間で起きている感情的な議論は、その例だ。発端は、1月末にアテネからブリュッセルに送られた報告だ。ギリシャは、欧州委員会や国際通貨基金(IMF)が課した歳出削減目標を、またもや達成できないことがわかったのである。このため同国政府は、再び欧州金融安定基金(EFSF)の融資を必要とすることになった。

 このためドイツ政府はブリュッセルでのEU首脳会議に先立ち、EUが「節約監督官(シュパー・コミサール)」をアテネに派遣して、ギリシャ政府の歳出削減や徴税体制の強化などを監視させることを提案した。ドイツは、不況で経済状態が悪化する一方のギリシャが、「底の抜けたバケツ」になることを強く懸念している。欧州最大の経済パワーであるドイツは、最も多額の支援を要求されるからだ。

 しかしこのアイデアは、ギリシャ政府にとっては屈辱だった。ベニゼロス財務大臣は、「EU加盟国は、ギリシャのアイデンティティと尊厳にも敬意を払うべきだ」と述べて、ドイツの提案を批判した。

 市民の間からも怒りの声が上がった。同国の「タ・ネア」紙は、1月30日の第1面にギリシャをマリオネットのように操るメルケル首相の漫画を掲載し、ドイツ語で「NEIN!」と3回繰り返す大見出しを載せた。

 他のユーロ圏加盟国からも、この提案について批判的な意見が相次いだため、メルケル首相は首脳会議では節約監督官の派遣に固執しなかった。

 ギリシャ人は、ドイツの提案について「まるで我々の国を、EUの統治領(プロテクトラート)に置こうとしているかのようだ」と感じたのである。彼らは、長年にわたる外国による統治に苦しんできた。ギリシャは約400年にわたりオスマン・トルコに支配されていたが、欧州列強の支援を受けて1830年に独立。

 だが同国は英仏・ロシアからの多額の債務に苦しみ、財政状態が急激に悪化していた。このため欧州列強は、1832年にバイエルン王国のルートヴィヒ1世の息子であるオットーをアテネに送り込み、ギリシャに君主国家を樹立させた。バイエルン王国は多くの官僚や学者をギリシャに派遣し、近代的な行政システムや法制度の整備を助けた。しかしギリシャ人は誇り高い民族である。彼らは外国人による統治に不満を募らせ、1862年に大規模な蜂起が発生した。このためオットーは、命からがら国外へ脱出した。

 ギリシャ人たちは、「再びドイツ人に手取り足取り指導されるのはいやだ」と感じているのだ。同じような声はイタリアからも上がっている。彼らは、「欧州中央銀行に債務加重国の国債を積極的に買わせたり、ユーロ共同債を発行したりするべきだ。ドイツはこれらの提案に反対することによって、ユーロを崩壊の危機にさらしている」と非難しているのだ。

 節約と秩序、管理と規則を愛するドイツ人。EUによる束縛を拒み、自由を愛するギリシャ人やイタリア人。国民性や政治意識がこれほど大きく異なる国々を、一つの通貨圏にまとめたことが、今回のユーロ危機の原因の一端である。各国間を飛び交う感情的な議論が、半世紀以上の歳月をかけて築かれてきた欧州の団結と連帯を深く傷つけるとしたら、とても残念なことである。

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